長野県は昭和43年(1968)知的障害者の総合援護施設として県立西駒郷(※1)を設立した。設立当初は、2~3年の訓練により社会復帰することを目標としたが、発足して7~8年経過しても、退所して社会参加若しくは家庭復帰できる利用者は極めて少ないことが判明した。
県立なるが故に、特定の人が西駒郷を独占しては困る、長期滞在化することは、県下の知的障害者に公平にその機会を供与する公的機関としての機能が損なわれるという問題が発生した。特に生業部に所属する利用者のなかには、健常者に比較して老化現象がめだち、作業どころか共同生活さえ難しい状態の利用者が目立つようになってきた。
西駒郷保護者会はこうした県民世論と、利用者の状況から何とか対策を考えようと通勤寮や老人棟の建設について内部論議や、県当局への陳情等を繰り返してきた結果、①県はこれ以上の施設建設は困難である②西駒郷の民営移管も検討され始めたことなどにより、保護者会としては、老化対策を基本に『子弟の終生援護の場』を自分たちで資金を出し合って施設を造ろうという方針を昭和51年(1976)2月に決定した。
一方西駒郷の地域支援組織として、利用者の実習受入をしている企業や地元市村や商工会議所等を会員とした「西駒郷協力会」が昭和51年7月に発足し、初代会長に当時駒ヶ根市選出の県議会議員であった中原嘉之吉氏(※2)を選出したことを受けて、西駒郷保護者会の考え方について協力を依頼した。
西駒郷保護者会は昭和52年(1977)3月施設建設準備委員会を設置するとともに、協力会と一体となって県当局と話し合いを重ねた結果、最終的には民間社会福祉法人を設立し、その手によって施設建設をする以外良い方策はないとの結論に達し、準備委員会は『法人施設建設委員会』(後に施設建設促進委員会に改組)を発足して準備に入った。
当時の西沢知事の全面的な支援方針もあり、事務的な作業は西駒郷所長以下関係職員の献身的な協力により進められたが、発足までには様々な問題が発生し、そのつど関係者の協力により解決して、昭和53年(1978)7月31日付で法人設立認可が下り、かつ第1号施設建設の運びとなった。
(1)社会福祉法人設立認可には、第1号施設建設補助金の決定と一体となることから、第1号施設(現駒ヶ根悠生寮)建設の為の、土地確保と施設計画の内容が厚生省とのヒヤリング対象となり、高齢者だけを入れる施設は認められないと指摘される一幕もあり、知的障害者の施設における処遇問題まで発展した。(結果的には認められたが、全国的に注目されることとなった)
(2)法人設立と第1号施設建設に必要な資金は、施設建設促進委員会へ利用者の定期預金利息分を拠出することとし、西駒郷保護者の同意を求めた結果、90%を超える賛同を得て資金確保の目途がついた。
(3)西駒郷職員の一部にインテグレーション理論(※3)に基づき、施設建設の反対論が起こり、保護者会との摩擦が 生まれるなどの事態も起きたが、「要は個々の障害者が置かれている具体的状況にどう対応するかであって、一般的抽象的理論ですべて割り切るべきではない」という見解をとり、予定どおり施設建設を進めた。
(4)第1号施設予定地(現在地)は、営林署官舎跡地(国有地)であったため、施設建設がはっきりしなければ土地の譲渡はできないとする営林署と、土地がなければ補助金は出せないとする厚生省側との間に挟まれ、初代中原理事長が非常に苦労された。土地確保ができたら今度は地元大田切地区の一部から施設建設の反対の声があがり、地元町内会の役員や法人設立準備委員等が大変苦労され、同意にこぎつけることができた。
※1【長野県西駒郷】
昭和43年(1968年)大田切川を挟んだ駒ヶ根市と宮田村にまたがった敷地に建設され、最終的に更生訓練部(190人)生業部(250人)保護部(60人)合計500人定員の総合援護施設となった。平成13年(2001年)7月施設老朽化にともなって県は「西駒郷改築検討委員会」を設置、結果的には改築検討ではなく、西駒郷あり方委員会的内容となり、西駒郷基本構想が提言された。これを受けて西駒郷は大きく変革しつつある。平成20年4月1日現在の定員は350名となっている。(入所更生230、通所更生20、入所授産60、通所授産40)。この他上伊那郡市地域内に15箇所のG・H、C・Hを事業団が運営している。平成17年度より、指定管理者制度により長野県社会福祉事業団へ運営管理を全面委託した。
※2【初代理事長中原嘉之吉】
大正13年(1924年)12月30日駒ケ根市に生まれる。駒ヶ根市市議会議員1期長野県議会議員延9期この間、県議会副議長(2期)をはじめ各種役職を歴任。日本社会党に所属し活躍するとともに、特に農民運動、日中友好運動に精力を注ぐ。昭和52年(1977年)10月社会福祉法人りんどう信濃会設立準備委員会を設置その設立代表者となり、その実現のために政治手腕を発揮する。昭和53年(1978年)7月社会福祉法人りんどう信濃会設立認可。同年8月設立理事会において初代理事長に就任。以後施設建設とその運営に尽力、法人創立20周年直前の平成9年(1997年)11月6日逝去。(関係資料を法人本部にて「中原文庫」として保管している。)
※3【インテグレーション(integration:統合)】
ノーマライゼーシヨン理念に基づく福祉を具体的に実現する方法であり、援助手段である。知的障害者をはじめ福祉の対象者の援助において、対象者が他の人と区別されることなく地域社会で生活できるよう援助する方法であり、これを可能にする具体的手段である。
【1】わが法人は、『自由』『共生』『博愛』を基本理念とし、利用者一人ひとりに、地域・経済社会への参加と自立した生活をめざしたライフステージを提供し、悠生で安心できるくらしを追及します。
【2】各事業が提供する福祉サービスは、利用者及びその家族、ならびに地域住民の期待とニーズに合致した適正かつ質の高いサービスを提供し、もって地域福祉の向上に寄与します。
【3】民間社会福祉法人として、健全かつ活力ある経営に努めるとともに、先駆性・独自性を発揮し、社会福祉に貢献します。
1.役職員は高い志しや倫理観をもって利用者に相対します。
☆一人ひとりを大切に考え支援を行います
☆法令順守の管理体制を堅持します
☆主体性を尊重して共感に基づく取り組みをします
☆差別撤廃や人権擁護の立場で行動します
☆苦情等の申出には誠意をもって解決を図ります
☆家族等からの安心と信頼を得られるよう努めます
2.組織が持つ機能を提供します。
☆社会一般の生活と隔たりのない暮らしを提供します
☆安全で快適な施設・環境をつくります
☆サービス利用にあたっては誠意をもって相談支援を行います
☆公益性を図り、利用者、家族、地域等との共生・共栄の社会づくりを目指します